事例性・疾病性・作業関連性とは。臨床と産業保健の違い
臨床から産業保健の分野に転職した方が最初に戸惑うのが、産業保健特有の用語と、臨床と産業保健活動の違いです。
臨床では「医療スタッフと患者」が協力して診断や治療を進めますが、産業保健では「事業者と労働者が主体となる産業保健活動を支援すること」が産業保健スタッフの役割です。この点が、臨床と産業保健の大きな違いです。
また、産業保健活動は主に事業者の責任で進められます。事業者には、労働者が安全かつ健康に働ける環境を提供する「安全配慮義務」があり、労働者には、自身の健康を維持する「自己保健義務」が課されています。産業保健スタッフは、両者がそれぞれの義務を適切に果たせるよう、関連する法律やガイドラインに基づいて事業場内の活動を行います。
本記事では、産業保健の現場で働くうえで理解しておきたい「事例性」「疾病性」「作業関連性」といった基本的な考え方や、産業保健スタッフの役割をわかりやすく解説します。
目次
1.産業保健スタッフの基本的な役割
2.産業保健で知っておくべき考え方
3.企業において産業保健スタッフに求められること
4.まとめ
1. 産業保健スタッフの基本的な役割
産業保健の目的は、すべての働く人が、健康で安全に、快適に働ける職場づくりを行うことです。産業保健スタッフは、担当事業場の労働者が抱える健康上の課題を把握し、事業者や労働者のニーズにあった活動を提供します。そのためには、企業そのものや法令の理解、職場環境の把握が欠かせません。
■企業とは
会社・企業は経済活動を行う組織であり、特定の目的を達成するために、資金、労働力、知識、技術などを結集してビジネスを行い、社会のなかで、モノやサービスを生み出し、生産したりして利益を追求します。
つまり、企業の目的は、生産活動を通じて利益を得ることと言えます。
■企業で求められる医療職(産業保健スタッフ)の役割
臨床と異なり、産業保健では以下のような活動が求められます。
- 法令遵守:企業が適切に安全配慮義務を果たせるよう、法令にそった活動を展開する
- 就労支援:健康課題を抱える労働者が働き続けられるよう支援する
- パフォーマンスの向上:健康管理を通じて健康問題による生産性の低下を予防する
- 組織のリスク管理:職場の健康や安全リスクを発見し、予防策を講じる
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適正配置:労働者の健康状態と業務のアンマッチを解消するため、業務調整や適切な配置を行う
2. 産業保健で知っておくべき考え方
産業保健では、よく「疾病性」と「事例性」という言葉が用いられます。それぞれの意味をみていきましょう。
■疾病性
疾病性とは「病気の有無」や「病気の状態」を表す言葉です。例えば、現病歴や既往歴、症状の有無、疾患の有無、具体的な病名などを指します。病気や怪我をしていること、何かの病気の治療を受けていることなどは「疾病性」に相当します。
■事例性
事例性とは、職場で見られる具体的な困りごとや問題を指します。例えば、遅刻や欠勤など勤怠の乱れ、業務パフォーマンスの低下、業務上のミスや周囲とのトラブルの発生などです。事例性の原因は、病気や怪我などの健康問題のほか、本人の行動や考え方の特徴、職場環境、プライベートの問題など多岐にわたります。
■疾病性と事例性
例えば「糖尿病の治療を受けているが、問題なく仕事ができており、職場での特別な対応が不要な社員がいる」場合、疾病性はあっても事例性はありません。しかし「糖尿病の悪化を防ぐため夜勤を避ける必要がある場合」や、「糖尿病のため2週間の教育入院を行う」場合などは、疾病性が原因で事例性(業務への影響や職場での困りごと)が生じている状態です。
■作業(業務)関連性
産業保健において「作業(業務)関連性」とは、労働者の健康問題が、職場環境や作業条件などと関連しているかを表す用語です。仕事で取り扱う化学物質への曝露が原因となる疾患や、長時間労働が原因で発症したメンタルヘルス不調、重量物の取り扱いが原因の腰痛などは、作業(業務)関連性がある状態です。作業(業務)関連性が見られる場合には、労災認定基準と照らし合わせて、労働災害と認定されることもあります。
労働災害を防止することは、労働者の健康はもちろん、事業場のリスク防止の観点からも重要であり、産業保健スタッフはこれらを意識することも必要です。
■「疾病性」「事例性」「作業(業務)関連性」の具体例 〜メンタルヘルス不調の場合〜
【ケースの概要】
労働者Aさんは、最近よく眠れず、遅刻や業務のミスが目立っています。精神科を受診した結果、主治医から「睡眠障害とうつ病の可能性がある」と診断され、「今後体調が悪化するようなら休養が必要だ」と言われています。
このAさんについて、産業保健スタッフは次のような点に着目して対応します。
- 疾病性:睡眠障害があり、うつ病の可能性があり、症状が改善しなければ休業が必要と診断されている
- 事例性: 遅刻や業務のミスの増加など、職場で具体的な問題が生じている。今後、症状が改善しなければ休業が必要となる可能性がある
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作業(業務)関連性:現時点では不明。長時間労働の有無、仕事の負担、職場の人間関係のストレスが症状に影響していないか、また、業務を継続することが可能か、業務継続によって症状が悪化するリスクがないかを検討する必要がある
産業保健におけるケース対応では 、「事例性」「作業(業務)関連性」を中心に評価し、対応を検討していきます。
Aさんの事例では、(1) 長時間労働や仕事の負担、職場の人間関係のストレスが症状に影響していないかどうかを確認すること、(2) 業務を継続することで症状が悪化するリスクを評価すること、(3) 職場での対応が必要と考えられる場合には、本人の同意を得た上で、人事担当者や管理監督者に相談し、職場での対応を検討すること、(4) 今後のフォローアップのための計画を立てることが必要になります。
3. 企業において産業保健スタッフに求められること
■事業場内での役割とコーディネート機能
企業における産業保健活動は、事業者と労働者が主体となって進めるものです。産業保健スタッフはその活動を支援する立場にあります。
産業保健スタッフは、医学的な視点から意見を述べることが求められますが、人事的な措置や業務調整の決定権はありません。必要な対応を行うためには、人事労務担当者や管理監督者と連携することが不可欠です。
産業保健スタッフには、労働者の健康上の問題に起因する困りごとを解決するために、人事担当者・管理監督者・主治医など、必要な人をつなぐ、情報収集や情報共有を支援する、必要な場合は社外のリソース(主治医、行政機関、EAPなど)を活用するといった、コーディネート機能が求められています 。
■主治医との連携と良好な関係構築
主治医の役割は患者を診断し治療することです。主治医と患者は、「治療契約」に基づいた関係であり、主治医には守秘義務があります。そのため、患者の医療情報を、企業など第三者に本人の同意なく開示することはできません。
主治医は患者の利益を最優先に治療を行う立場であるため、就労の可否に関して、患者の意向を重視した診断書を作成することはよくあります。たとえば、体力が十分に回復していなくても、患者が復職を強く希望すれば、「復職可能」の診断書が作成されることがあります。
こうした事態を避けるためには、休業直後から、社内の復職支援制度の内容を本人を通じて主治医に情報提供する、復職可否の判断ついて、厚生労働省の手引きを活用して、会社から主治医に詳しい情報提供を求めるなど、産業保健スタッフが、主治医・本人・会社の間をうまく調整し、スムーズな復職支援や業務調整が進むようコーディネートすることが重要です。
4. まとめ
産業保健スタッフの役割は、事業者が安全配慮義務を遂行し、かつ労働者が健康に働ける環境を整えるための支援を行うことです。
産業保健活動の目的は病気の治療ではなく、「就労を支援する」ことにあります。
疾病性、事例性、作業関連性を明確に理解し、特に「事例性」と「作業関連性」に注目した対応が求められます。職場での具体的な困りごとを把握し、適切な解決策を提案することが重要です。
また、産業保健活動を円滑に進めるには、人事担当者や管理監督者との協力だけでなく、主治医などの社外関係者との連携も不可欠です。産業保健スタッフには、
それぞれの立場や役割を正しく理解し、働く人々が安心して就労できる環境を作るためのコーディネート能力が期待されています。
■執筆:さんぽLAB 運営事務局 保健師
■監修: 難波 克行 先生
■参考資料
1) 森本英樹・向井蘭. ケースでわかる実践型職場のメンタルヘルス対応マニュアル. 中央経済者