序 ウェルビーイングは福利厚生から経営戦略へ
ポジティブ心理学は今、大きな転換期を迎えています。学問の黎明期(1.0)では、「強み」や「ポジティブ感情」を中心に個人の幸福を探究し、第 2 世代(2.0)は苦悩や否定的感情の価値を統合して「意味」や「実存」に光を当てました。現在は第 3 世代(3.0)として、個人-組織-社会-環境をつなぐ多層のシステムに焦点を移す潮流が進んでいます(本稿では、ポジティブ心理学 3.0 と呼ぶ)。


この展開は、たんなる学術的なトレンドに留まらず、企業経営と私たちの働き方を根本から変える可能性を秘めています。少なくとも、産業保健マネジメントにおいては、従来の「不調の予防・対処」を越えて、「人と組織が共に栄える」ための戦略パラダイムへの移行を促しています(Sheldon et al., 2011)。
たとえば、産業・労働分野で近年、ポジティブ心理学由来の「ウェルビーイング」の考え方が注目されています。しかし、多くの組織では依然として、これらを福利厚生や職場の雰囲気づくりとして捉えており、本質である「組織の成功構造の変革」という視点は十分に共有されていません。
そこで本稿では、ポジティブ心理学 1.0 と 2.0 のエビデンスを踏まえて、働く人の幸福と企業成⾧を両立させる「ポジティブ心理学 3.0」のハイインパクトな取り組みと新たな産業保健マネジメントについて論じます。


<目次>
1. ポジティブ心理学の展開:1.0 から 3.0 への進化
2. ポジティブ心理学 3.0 が産業・労働分野に及ぼすハイインパクト:人的資本経営の核心へ
3. まとめ
1.ポジティブ心理学の展開:1.0 から 3.0 への進化
ポジティブ心理学は、セリグマン(Seligman, 1998)によって「人がより良く生きるための科学」として提唱されました。それまでの心理学が「心の病をどう治すか」というマイナスをゼロにするアプローチに偏っていたことに対するアンチテーゼでした。ポジティブ心理学 1.0 は「人の強みやポジティブ感情」を中心に、それを伸ばすことで「幸福になれる」というプラスの側面を強調したのが始まりとなります。
それから四半世紀、その焦点は大きく広がり続けています。この間、研究対象・方法論・哲学的基盤は大きく進化し、現在では産業・組織心理学や産業保健はもとより、経営学やサステイナビリティ学などとも融合する複合領域へと発展しています。この進化は大きく3つの世代に分けられます。
1) ポジティブ心理学 1.0:ポジティビティ科学の創成期(1998 年~)
■執筆
津田彰
公認心理師、臨床心理士、博士(医学)(久留米大学)
健康・医療心理学、産業・組織心理学、ポジティブ心理学などを専門とする。
心理学に関して数多くの著書を執筆。講演・論文の発表実績も多数あり、多くの賞を受賞。
2021年4月 久留米大学 名誉教授
2021年4月 帝京科学大学 医療科学研究科 教授
2022年4月 久留米大学 医学部 客員教授
2025年4月 帝京科学大学 教育人間科学部 学部長(現在に至る)

